感染症疫学の用語解説
1.疫学調査
疫学は、病気などがどのくらい起こっているか、またそれに関連することなどについて数字としてまとめる学問です。
感染症の疫学調査は、感染症の流行が起きたときに、患者がいつ、どこで、どのような人にどのくらい発生しているか、どのように感染したかなどについて調査をします。病気の性質を知って、対策を決めるために必要不可欠な調査です。どのような人が病気になりやすいか、どのような場所で患者が発生しやすいかなどを知ることによって、感染を予防するための対策を立てることが可能になります。
疫学調査は、具体的には以下のような手順で実施されます。
第1ステップ<準備>
まず疫学調査の準備として、調査の目的を決めて関係者全員で共有し、役割と責任を明確化します。法令に基づいて必要な公的手続きをとり、診断に必要な検査体制を整備します。
第2ステップ<診断の確認>
次に、病気の診断を確認します。医師など専門家が、その病気にかかったと考えられる人を問診、診察したり、医療記録などの情報や検査結果を調べたりすることで、その病気が確かに診断されたことを確認します。これは、その病気が何らかの診断ミスや検査の失敗などによって見かけ上発生しているように見えている可能性を排除するためのプロセスです。
第3ステップ<病気の流行の判断>
さらに、その病気が本当に流行の兆しがあるのかを判断します。その病気の発生数を、例えば昨年の同じ月など、比較が可能な時期と比べることで、その病気が普段より多く発生しているのかを見極めます。
第4ステップ<症例の定義とカウント>
ここからが疫学調査の本体部分です。まずどのような人を調査対象の病気とするかの定義を決めます。これを症例定義といいます。感染症の積極的疫学調査*では、一般的に、検査ではっきりした人を「確定例」、症状やレントゲン検査などから患者であると考えられる人を「疑似症例」とします。また、症状などから機械的に判断できる定義を決める場合もあります。次に、その定義にあう患者の数をカウントし、時、場所、人(性、年齢、最近の行動など)についての情報を記録します。
*「積極的疫学調査」の意味:「確定例」や「疑似症例」に対して行動調査、接触者のリスト化、接触者の健康観察などを保健所が調査することを、病院等からの報告を待つ(Passive)の意味と対比して積極的(active)と称しています。なお、今回の新型コロナウイルスに対する疫学調査は、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律第 15 条」に基づく、公的な調査です。
(資料)新型コロナウイルス感染症患者に対する積極的疫学調査実施要領(2020年2月6日暫定版)
https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484-idsc/9357-2019-ncov-02.html
第5ステップ<時、場所、人についての集計>
最後に、記録した患者の情報を集めて、時、場所、人について集計します。
「時」については、病気が発生した日にち毎に、患者の人数をグラフにします。図1はクルーズ船乗員乗客の常設診療所訪問日別発熱患者数のグラフです。病気が広がるできごとが1回だけあったのか、複数回あったのか、人から人に持続的に感染していったのか、また感染してから症状がでるまで何日くらいかなどの見当をつけることができます。
「場所」については、患者が発生した地域を地図などに書いていきます。患者の発生が多い場所や少ない場所などをみます。時には、飛行機のどの座席に座っていたかを図に描いて、どのくらいの距離の人まで感染するかをみたりすることもあります。
「人」については、性別、年齢、行動などが重要です。図2は、年齢群別の症状ありと無症状の新型コロナウイルス感染が確定した割合です。若い人と高齢の人と、どちらの方が病気になりやすいかなどは対策を進めるために重要です。また、行動として、ある行事に参加した人で患者が大勢発生しているなどがわかると、感染を予防するためにどのような注意をすればよいかを考えるための参考になります。
(注)乗員乗客人数:2月5日時点で乗客2,666人、乗員1,045人、合計3,711人
出典:国立感染症研究所 https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484-idsc/9410-covid-dp-01.html
出典:国立感染症研究所 https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484-idsc/9422-covid-dp-2.htmlをグラフ化
2.第1次症例/第2次症例
- 第1次症例/第2次症例 primary/secondary case
第1次症例とは、感染がヒトからヒトへ広がる時、その疾病を最初に集団に持ち込んだ人のことを指します。第1次症例から感染した人を第2次症例と呼び、そこから第3次症例、第4次症例と続きます。また、第2次、第3次の感染による感染者数は波のようなピークを形成していくことがあります。 - インデックス・ケース index case
インデックス・ケースとは、感染症の流行の際に補足された最初の症例(ケース)のことを指します。インデックス・ケースの発見は流行調査の足がかりとなりますが、インデックス・ケースの発見前にすでに病気を発症した人がいることが多いため、第1次症例とは同義ではありません。
3.感染性:基本再生産数(R0: Basic Reproduction Number)
ある感染症に対して、その感染症に対する免疫を持たない集団にその感染症を最初に持ち込んだ一人の感染者が、感染力を失うまでに(免疫の獲得もしくは死亡により)、何人に感染させるかを数値化した感染性の指標です。
例えば、ある感染者がひとり(青①)が、その感染がこれまで見られなかった集団に入ったとします。
その人が1名(青②)に感染させ、さらに、青②の方が青③と青④の2名の方に感染させる。青③の方は、誰にも感染させず(0名)、青④の方が青⑤の方(1名)に感染させる。青⑤の方は、青⑥から青⑧の3名に感染させ、その後も感染が拡がったとします。
そうしますと、総勢10名の感染者に関して、何人に感染させたのか総数が算出できます。
青①の方:1名に感染
青②の方:2名に感染
青③の方:0名に感染
青④の方:1名に感染
青⑤の方:3名に感染
青⑥の方:2名に感染
青⑦の方:1名に感染
青⑧の方:2名に感染
青⑨の方: 2名に感染
青⑩の方: 1名に感染
総計15名に感染
平均しますとひとりの感染者は、1.5名に感染させたということになり、この値を基本再生産数R0と表します。
この基本再生産数(R0)は、感染症がどのように完全に感受性である(その感染症がそれまで広まったことがない、免疫を持たないということ)人口集団において、広がっていくかについての係数であり、1人の感染者が平均して何人に直接感染するかという人数のことです。
感染者ひとりが何人に感染させるか?については、感染症が拡がり、次第に人々が免疫を得始め、時間の経過とともに、完全に感受性を持つ人は減少します。結果として再生産数*は感染症の広がりとともに低下します(収束する)。
新しい感染症がある集団に持ち込まれた場合、感染が広がる可能性については次のように考えられます。
[New] 再生産数
実効再生産数と呼びます。感染が拡がったことのない、もしくは全く免疫を持たない集団に感染が入り込んだ際の感染性を基本再生産数(R0)と呼ぶのに対し、その集団全員が必ずしも感受性ではない場合(感染が流行中である場合や、感染が拡がり、免疫を持つようになったひとが増えている段階やワクチン接種が拡がっている状況)での感染性の指標を実効再生産数(effective reproductive number: R)と呼びます。
R0とおなじく、R値が1未満であれば、感染は終息してゆきます。
2020年3月9日の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議による「新型コロナウイルス感染症対策の見解」(リンク先:https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000606000.pdf)においては、現在、の実効再生産数(R)は、1程度で推移していると報告されています。(3/11/2020掲載)
R0 < 1 の場合: 感染の流行は、拡がりません(感染者ひとりがひとり未満の人数に感染させる)
R0 = 1 の場合:拡大も終息もせず、地域的に流行し続ける(ひとりの感染者がひとりに感染させる)
R0 > 1 の場合:流行の拡大(ひとりの感染者が複数に感染させる)
今回の新型コロナウイルスの場合、R0は、1.4 から 6.49 (平均:3.28)であると言われています。
今後の疫学調査結果により値が分かる可能性があります。
※その他の感染症のR0は、麻疹(はしか)が12~18,インフルエンザが2~3と言われています。
<R0を規定するもの>
R0は以下の式で表すことも出来ます。
R0 = β×k×D
βは、一回の接触あたりの感染確率、
kは、ある時間あたりに1人の人間が集団内で平均何回の接触をするかを係数、
Dは、感染症ごとに推定されている感染期間(kと同じ時間単位で測定)を表します。
βの感染確率は、感染症および接触の種類によって異なりますが、マスク着用、手洗いといった公衆衛生学的対策により、βを低下させることができます。
Kについては、人々が接触する回数が減れば、減らすことが可能です。
Dについては、感染期間を短くすることにより減らすことが出来ます。例えば、抗ウイルス薬などの治療により期間を短くさせることで減らすことが出来ます。
上記のR0の式により、病気の感染性が強いほど、患者が多くの人と接触するほど、感染症を有する期間が長いほどR0の値が高くなり、感染が拡がりやすくなることが分かります。
また、感染後に治癒し、多くのひとが免疫を獲得したとすると、R0が1以上であっても、時間の経過とともに、ひとりの感染者が感染させる人数は減少し、感染の流行は終息してゆきます。また、予防接種も同じ効果が得られます。
4.感染経路 transmission route
感染経路とは、感染がどのような経路で起こるかを示したものです。おもに、接触感染、飛沫感染、空気感染、水系感染、食物または媒介動物を介した感染などに分類されます。また、感染が直接か間接かにも分類しえます。
直接感染に分類される「飛沫感染(くしゃみ/咳による感染)」と間接感染に分類される狭義の「空気感染」の違いは、前者は感染源が近くに存在していることが必要条件なのに対し、後者は換気システムなどを通じて、ある部屋から別の部屋へ感染が広がっていくという違いがあります。
また、ヒトからヒトへ全く広がらない感染もあります。傷風やレジオネラ感染など、多くは土壌中や水中に存在する細菌によるものです。
今回の新型コロナウイルスは、飛沫感染、接触感染(ウイルスが付着したものの表面を触ることにより、口腔、鼻腔粘膜、眼から感染すること)が疑われています。
5.時間に関する用語
- 潜伏期 incubation period
潜伏期は、感染した時点から症状が現れるまでの期間のことを指します。潜伏期であっても感染性を有することが多く、注意が必要です。 - 感染性期 infectious period
感染性期とは、ヒトが感染性を有する期間のことを指します。 - 潜伏感染期 latent period
潜伏感染期とは、感染した時点から感染性を有するまでの期間のことを指します。
6.パンデミック
「パンデミック」とは、国境をまたぐような「世界的な大流行」のことです。「汎流行」ともいいます。
<エンデミック、エピデミック、パンデミック>
流行の広がりによって、エンデミック、エピデミック、パンデミックと3段階でとらえる研究者もいます。
「エンデミック」は、特定の地域などで、普段から継続的に病気が発生することです。「風土病」、「地方病」ということもあります。
「エピデミック」は、「流行」のことです。病気の発生が、通常の状態よりも明らかに多い状態です。パンデミックまで至らない状態を指す場合もありますが、広い意味では、パンデミックもエピデミックの一種と考えることもできます。
<アウトブレイク>
感染症の突発的発生や、集団発生のことです。特に、ある地域や、医療施設内に限って、病気が急増することを指します。前述のエピデミックと似ていますが、「突発的」や、「医療施設内に限って」などのニュアンスがある点がやや異なります。
1995年に封切られた、ダスティン・ホフマン主演の映画「アウトブレイク」では、エボラ出血熱に似た致死性の高いウイルス感染症に立ち向かう話が話題を呼びました。
<WHOによるパンデミック期の説明>
WHO(世界保健機関)は、2017年に発表された新型インフルエンザ対応に関する報告書の中で、パンデミック期についての説明を行っています。それによると、世界全体の平均の患者数をもとに、以下の4つの時期に分けられるもののとして説明が行われています。
- パンデミックの間の時期
新型インフルエンザによるパンデミックとパンデミックの間の段階 - 警戒期
新しい種類のインフルエンザの人への感染が確認された段階 - パンデミック期
新しい種類のインフルエンザの人への感染が世界的に拡大した段階 - 移行期
世界的なリスクが下がり、世界的な対応の段階的縮小や国ごとの対策の縮小等が起こりうる段階
*これら時期の推移は、継続的な情報収集と評価による世界全体の平均の患者数で数える
出典:厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000547045.pdf
WHO https://www.who.int/influenza/preparedness/pandemic/influenza_risk_management/en/
7. 検査の正確さの指標
検査の正確さは、検査そのものの精度と、対象集団全体にその病気(感染)がどのくらいの割合で存在しているか(感染率)によって変化します。具体的には、以下のような指標で評価されます。
- 感度(真陽性率)
真の感染者のうち、検査で陽性と判定される者の割合。
感度の高い検査は、偽陰性(間違って陰性になること、つまり見落とし)が少ない検査です。見落としを減らすために検査の感度を上げると、偽陰性は少なくなりますが、逆に偽陽性 (間違って陽性になること) が多くなります。
感度が高い検査は偽陰性が少ない、つまり陰性反応的中度(下記)が高い傾向があります。 - 特異度(真陰性率)
真の非感染者のうち、検査で陰性と判定される者の割合。
特異度の高い検査は、偽陽性(間違って陽性になること)が少ない検査です。間違って陽性になることを減らすために検査の特異度を上げると、偽陽性は少なくなりますが、逆に偽陰性が多くなります 。
特異度が高い検査は偽陽性が少ない、つまり陽性反応的中度(下記)が高い傾向があります。
同じ検査でもカットオフ値(その値より大きい場合「陽性」と判定する基準値)を変えると感度と特異度が変わります。感度と特異度はトレードオフ(一方を上げると他方が下がる)の関係にあります。
一般的に、感度の高い検査はスクリーニングに用いられ、特異度の高い検査は確定診断に使われます。 新型コロナウイルスのPCR検査は後者に当たります。
- 陽性反応的中度
検査で陽性と判定された者のうち、真の感染者の割合。
同じ検査を使っても、対象集団全体に占める真の感染者の割合(感染率)によって陽性反応的中度は変わります。
対象集団全体に占める真の感染者の割合(感染率)が低い場合、陽性反応的中度は低くなる傾向があります(つまり、検査結果が陽性でも本当は感染していない人の割合が多くなる)。
今回の新型コロナウイルスの場合、真の感染率が低い対象者にPCR検査を実施すると、検査結果が陽性でも本当は感染していない人が多くなる可能性があります。 - 陰性反応的中度
検査で陰性と判定された者のうち、真の非感染者の割合。
同じ検査を使っても、対象集団全体に占める真の感染者の割合(感染率)によって陰性反応的中度は変わります。
(同じ感度と特異度をもった検査でも、) 対象集団全体に占める真の感染者の割合 (感染率) が高い場合、陰性反応的中度は低くなる傾向があります(つまり、検査結果が陰性でも本当は感染している人の割合が多くなる)。