半世紀前の疫学との出会い


元国立公衆衛生院長 石 昌弘
プロフィール


 日本疫学会の名誉会員に推挙され,毎回立派なジャーナルを送って頂きながら,学会に何の貢献も出来ず肩身の狭い思いをしていたが,ニュースレターへの寄稿依頼を受けたので,半世紀前の疫学との出会いを思い出しながら拙文をまとめ責めを果たしたいと思う。
 思い出すと筆者が長い間務めていた国立公衆衛生院との初めての出会いは東大医学部3年生の頃(1952)であった。結核研究会(学生主体のサークル活動)の一員として,先輩の4年生と一緒に最初に訪れたのは疫学部の重松逸造先生の研究室だった。ツベルクリン反応の結果の処理や胸部間接撮影の読影などの勉強をさせて頂いたことを思い出す。4年生,インターンの期間にも疫学部には時々お邪魔していたので,インターン修了後,健康上の理由もさることながら,公衆衛生院正規医学科の学生として1年間勉強する機会を得たのも自然の成り行きだったと思う。
 野辺地慶三先生,曽田長宗先生の後を継いで当時の疫学部長は松田心一先生が務めておられた。松田先生は正規医学科の主任として学生の指導を担当されたが,筆者にとって疫学の魅力を感じさせて下さったのは,当時の若い少壮研究者として大活躍しておられた部員の先生方だった。宮入正人先生は正規医学科の副主任としてお世話下さったが,アメリカ留学から帰国されたばかりで,当時はまだ珍しかったナイロンのアメリカ製シャツに蝶ネクタイを付け,アメリカの華やかな疫学研究の紹介などが印象的だった。重松先生は前述のとおり,公衆衛生院と筆者との関わりの最初であり,とりわけ結核症の疫学について多くのご指導を頂いたことを思い出す。また,最も若かった平山 雄先生もアメリカで学んでこられた疫学研究の最先端を走っておられ,特に赤玉と白玉を使って患者接触の移り変わりから流行の様相を説明された理論疫学の講義には新鮮な感銘を受けたものである。「東大ではエピデミオロジーの講義はあったかね?」との先生の質問に対して,「公衆衛生の講義の中でエピデミオロギーという言葉は聞いていましたが,特にまとまった講義はありませんでした。」と答えた時,「そうか,まだドイツ語なんだ!」と憮然とした顔をされたことが思い出される。まだ,東大医学部に保健学科ができておらず,疫学の教室はなかった頃の話である。
 その頃,ハーバード大学からJ.E.ゴードン教授が来日され,「事故の疫学」の講義を聴く機会があったが,それまで感染症の疫学しか知らなかった筆者にとって大変な驚きだったことを鮮明に思い出す。host,agent,environment の関連の中で自動車そのものが agent として考えられるという発想が奇想天外に思われたわけである。野辺地先生が始められてから重松先生が受け継がれて長い間続いていた疫学研究会にも,その後かなり長い間参加させて頂き筆者は疫学に大きな関心を持ちつつ若い時代を過ごした。疫学研究に携わりたいと思っていたが,たまたま,公衆衛生院の母性小児衛生学部に就職することになり,当時の部長だった斎藤 潔先生の下で子どもの身体発育研究に従事するようになったため,筆者の研究内容は疫学そのものから離れることになったが,発育研究の中の longitudinal study は,まさに,cohort study であり,疫学研究についての関心は持ち続けることができた。
 なんといっても,日本の疫学研究のメッカといわれた国立公衆衛生院疫学部の当時の先生方に多くのご指導を頂いたことに感謝しつつ思い出すといろいろなことが蘇ってくる。現在も大変ご壮健で活躍しておられる重松先生は別として他の先生方は皆物故されたが,今でも当時の若若しいお顔が浮かんでくる。そして,筆者が国立公衆衛生院長在任中に,当時,日本公衆衛生学会理事長を務めておられた重松先生のご依頼を頂いて第51回日本公衆衛生学会総会を東京で主宰する機会(1992)が得られた。当時の簔輪眞澄疫学部長を始め多くの公衆衛生院職員はもとより,当時の東京都衛生局の皆様のご支援により盛会裡に終了したことは筆者にとり大きな幸せであった。
 いうまでもなく,疫学研究会を基盤として新しい形で日本疫学会が発足し今日のような大きな発展を遂げていることは慶賀に耐えない。 Journal of Epidemiology も学会の発展と共に益々充実して国際的評価が高まっており,ニュースレターによる会員間の意志疎通が進んでいることも嬉しいことである。そして,このような発展の下に若い疫学研究者が続々と育ち21世紀の予防医学の中核をなしていることを考えると,日本疫学会の輝かしい未来を念ずると共に,半世紀前に当時の国立公衆衛生院疫学部で活躍されていた先生方の多くの業績に改めて敬意を表したい。
 まとまらない昔話を綴ったが,日本疫学会の益々の発展を心から祈念して筆を擱きたいと思う。