学会報告



第15回日本疫学会学術総会事務局奮闘記


滋賀医科大学福祉保健医学講座
第15回日本疫学会学術総会事務局長
岡村 智教


 大津市で開催しました第15回日本疫学会学術総会に多数ご参集いただき,まことにありがとうございました。おかげ様で大盛況のうちに学会を終了させることができました。
 2年ほど前に当講座の上島を会長として学会が開催されることは決まっていましたが,実際に動き始めたのは一昨年の学術総会(山形)の直前です。まず第14回学術総会の事務局長であった高橋先生とコンタクトを取らせていただき,会場の設営状況や舞台裏などを見学させてもらいました。何しろ私自身かなり不真面目な会員であり,疫学会に参加するのも久し振りだったので,かなり緊張して情報収集にあたりました。その結果,最大の律速段階が,演題の募集と抄録集の印刷の二つであることが判明し,また学会の損益分岐が演題数に依存しているという関連を見出しました。
 山形から戻り年度末の報告書の嵐が過ぎ去った4月初旬に学会当日に向けての進行予定を作成しました。多額の寄付をあてにできる学会ではないので,当初からコンベンション業者を入れるのは諦め,すべて自前で行く決心をしました。抄録集の印刷が印刷業者の繁忙期と重ならないように,12月初旬に印刷出しを行うことを前提とし,逆算して予定を組みました。また案内状やネームプレート等はできるだけ講座内のプリンターで作成する,抄録集も写真製版にするなど,なるべくコストのかからない方式を選択しました。また上島会長の「研究領域の異なる様々な参加者に共同研究の重要性を知ってもらいたい」という強い希望があり,三つのシンポジウムを一つのホールで組むことになりました。むろん異論はありませんでしたが,これにより一般演題への時間割り当てがかなり制限されることとなりました。
 当講座は複数の研究プロジェクトを抱えており,そのために比較的多くの事務補佐員を雇用しています。またリサーチレジデントや大学院生,研究生などもいるため,学会の運営にあたってはこれらの人々の助けを借りなければなりません。当講座は極めて民主的な(?)風土のため,これらの業務に「命令して」従事させるのではなく,「お願いして」お手伝いいただく必要がありました。さらに学会の運営で研究プロジェクトが停滞しては困るので,状況に応じて慎重に動員をかける必要があります。そこでまず夏頃に繁忙期のピークが過ぎた介入研究に従事していたメンバーに第1次の動員(お願い)をかけました。複数の企業相手に介入研究を実施してきたノウハウを生かし,業者等との折衝,配布物の印刷・発送,名簿の管理等,すべて順調に動き始めました。また経理は教授秘書をしている人に管理してもらうこととし,企業寄付(寄付金や飲料などの現物提供)や広告等の募集も始めました。
 秋に180演題を目標として一般演題の募集を開始しました。損益上の観点からは演題数が多いほうが良いので,当講座の多国籍軍編成(スタッフや大学院生等の出身大学が多種多様)のメリットを生かして,あらゆるルートで演題登録を呼びかけました。その結果,216題という多数の演題登録をいただきましたが,うれしい反面,学会当日のスケジュール編成は困難を極め,非常に余裕のないハードな学会となりました。また座長の選定も,難病のセッションなど一部の例外を除いて,「発表者と座長を別にする(自分の座長を自分でやる人をなくす)」という方針で臨んだため,多大な苦労を要しました。12月になって抄録集が完成するとその発送作業が始まります。このあたりから第2次の動員をかけてコホート研究(NIPPON DATA)に従事している人にも作業をお願いしました。1,600冊の抄録集が教室に届いた時は置き場所に困り,会員番号順に次々と発送しました。また当日の大学生アルバイトの募集も始め,京都市まで枠を広げて何とか必要な人数を確保しました。さらに1月に入ると当日の進行予定表を作り,各部署の責任者を決めました。また当日受付の現金の入金方法からゴミ処理まで細かく運用方針を決めました。そして学会期間中は,フィールドで脳卒中の発症登録に携わっている看護師さんから学位審査直前の大学院生,職を持っている研究生まで「根こそぎ」動員することとしました。このような段階的な召集が,講座内の人員を増やすことなく,かつ複数の研究プロジェクトを遂行しながら学会の準備を進めることができた大きな要因だと考えています。
 いよいよ学会当日です。一般口演,シンポジウム,ポスターセッション間の時間的余裕がほとんどないタイトなスケジュール,またホールとポスター会場が離れているという建物の構造的な問題もあって,東奔西走することになりました。最も困ったのは演者や座長が規定時間内に受付に来てくれないことで,その度に「○○先生が来られていません」という連絡が入り探し回る結果になりました。またシンポジストや厚生労働省関係者の応接やマスコミ対応,急病の方の病院への紹介など様々な業務が発生しました。嵐のような一日が過ぎて懇親会が終わった時,私の歩数計は2万6千歩を示していました。また夜,ホテルに戻ると不整脈(上室性二段脈)が出て1時間くらい苦しみました。しかし初日を何とか乗りきると2日目はそのままの勢いで進むことができました。最後の口演が終わると逆に元気が出て,予定よりかなり早く後片付けを終わらせることができました。会長の上島から「悪い意味ではなく,この学会は自分が何も知らないうちにすべての準備が整えられ,盛況のうちに終わっていた」という感想を聞いた時は,本当に事務局冥利に尽きました(もちろん「盛大な打ち上げをお願いします」と返事をしておきましたが)。
 この場を借りて会員の皆様に幾つかお詫びを申し上げたいと思います。まずピアザ淡海の運営規則のため開館時間を遅くせざるを得ず,結果として終了時間が遅くなってしまったことです。土曜日午後のポスターや一般口演は,遠隔地の人から開始するようにセッションを組みましたが,当日中にすべての方が帰宅できたかどうか気がかりでした。また懇親会は完全に事前参加者数を読み誤り,当日参加はなしとなり,またたいへん狭い場所で実施することになりました。参加者の方々,参加申し込みを希望された方々に陳謝させていただきます。いろいろと至らない点もあったかと思いますが,シンポジウムや個々の発表のレベルは非常に高かったという評判を各方面からお聞きしており,たいへんうれしく思っております(残念ながら私はほとんど発表を聞けなかったのですが)。偉そうに書いてきましたが,無事運営ができたのも講座内の多くのスタッフが協力してくれたからだと思っています。また吉村理事長を始めとして日本疫学会の本部の皆様にもたいへんお世話になりました。今後もアカデミックな討議が自由にできる「開かれた」学会であることを祈念して筆を置かせていただきます。