奈良県立医科大学衛生学教室スタッフ
右から,車谷教授,森田(助手),筆者,岡本(助手)

僻地医療から疫学へ


奈良県立医科大学衛生学教室 佐伯 圭吾
プロフィール


 医療事故に関する意識調査を行っています。調査は多くの方々のご協力によって進めることができましたが,調査に関する厳しい問い合わせもあり,調査を実施するうえでの社会的責任を痛感しました。調査結果を正確に反映することで,今後の医療に貢献したいと感じております。僻地医療と疫学は,あまりにもかけ離れた分野ですが,診療のときに背負う大きな責任感から逃げないスピリッツを忘れず研究を続けてゆきたいと考えています。


 昨年疫学会に入会させていただきました。このたび,新入会員としてご指名いただきましたので,簡単に自己紹介と研究の意気込みを語らせていただきます。

僻地医療に従事して

 私は,平成11年に自治医科大学を卒業しました。われわれは卒業後,出身都道府県に戻って,9年間勤務する義務を有しています。私は,2年間県立奈良病院での全科ローテート研修を終了したあと,十津川村国保小原診療所に赴任しました。ちなみに,私はローテート研修を終えたころ,将来的に,公衆衛生の仕事をしたいと感じておりました。
 十津川村は,紀伊半島の南半分を占める紀伊山地のちょうど真ん中に位置し,広さは,東西33km・南北32kmで,日本一広い村です。面積の96%は山林で,人口は約4,900人です。歴史的には,壬申の乱の天武天皇軍に参加した戦功により,年貢を免除されて以来,それは明治時代まで続きました。また,明治維新には,多くの勤皇の志士を輩出しました。現在の住民気質からも,地域に誇りを持って独立する気概のようなものが感じられます。
 地理的には,診療所から入院可能な医療機関までは非常に遠く,国道169号線を北に走れば,奈良県五條市まで約90分かかり,南に向かえば,和歌山県新宮市まで同じく約90分かかり,まさに「陸の孤島」といえます。しかも消防署がないため,救急患者の搬送は専門スタッフではなく,役場の職員で行っています。したがって,病状が不安定な患者さんの搬送には同乗することが必要でした。
 診療所の仕事は,1日約50名の患者さんを診察し,外来診療のあと,週に2〜3回は1時間以上かけて往診に出かけていました。また,週に2〜3回は,診療時間を問わず,救急患者が搬送されました。交通事故による多発外傷,農作業中の大腿骨骨折,山林作業者の頚髄損傷,多発肋骨骨折と血気胸,猟師の鉄砲誤射による胸部銃創,自殺未遂,向精神薬服用患者の悪性症候群,1歳児の40分以上の痙攣,急性心筋梗塞,脳卒中,などなど,村内で発生する急病を多く診察しました。1分1秒を争うケースは,ヘリコプター搬送を行うこともありました。振り返ってみると,「二度とあのような状況に遭遇したくないなあ……」という場面もいくつか思い出されます。
 また,末期がん患者の終末期在宅医療も行いました。病院でのターミナルケアの経験はありましたが,在宅は初めてでした。
 診療所に勤務しはじめたころは,経験したことのないような状況に置かれた場合の不安が大きく,躊躇もありましたが,現場に遭遇したとき,「今この患者さんを診察することができる医師は自分だけなので,最善を尽くそう」と覚悟を決めました。また,看護師や事務職員と相談することによって,いろいろな難題を乗り越えられたと感じました。

医療過誤に関する意識調査

 2年間の僻地勤務を終え,奈良県立医大衛生学教室車谷教授のもとで,疫学研究に従事させていただく機会をいただきました。すべてを患者さんに合わせる仕事から,自ら疑問を見つけて,解決してゆく仕事に適応するのに苦労しました。
 現在,衛生学教室では「医療過誤に関する一般市民と医師の意識の相違に関する調査」を行っています。
 米国では,1991年,ハーバード大学のグループによる約2万人のカルテ調査において,急性期病院の入院患者の3.7%に有害事象(医療による病状の悪化)がみられ,そのうち27.6%に医療過誤が存在し,その医療過誤の13.6%が死亡につながっていたと報告されました。この結果から計算すると,医療過誤による死亡数は,自動車事故による死亡や乳がんの死亡数を上回ることになるため,大きな反響を呼びました。また,カルテ研究された症例のうち51件の医療訴訟例が特定され,その結果を分析すると,有害事象を認めるのが13件,医療過誤を認めたのが9件でした。また,賠償額と医療過誤の有無には有意な関連を認めませんでした。この結果は,医療従事者から見ると,医療過誤がなくても,治療結果が悪い場合は,訴訟に巻き込まれる恐れがあるという不安を感じます。しかし,患者の立場から見ると,ほとんどの医療過誤が訴訟につながっていないのは,医療に関する情報が十分に公開されないため,医療過誤が起こっていても,多くは患者に知らされていないためではないかという不安を感じさせます。
 日本では,医療過誤の発生頻度に関する調査はありませんが,医療過誤訴訟は増加しています。医療過誤訴訟は,一般の訴訟と比較して勝訴する確率が低く,裁判も長期化するため「報われない戦い」ですが,なぜ医療訴訟が増加するのか疑問を持ちました。
 そこで,2002年に米国で行われたBrendonらの調査1)を参考に,一般市民1,500人と医師2,300人を対象にして,同じ内容の調査票を用いて,医療事故に関する意識調査を実施しています。調査は2004年10月から開始し,2005年1月末日に2回目の督促調査を終了したところです。
 一般市民の回収率は約50%,医師の回収率は約40%でした。調査は多くの方々のご協力によって進めることができましたが,調査に関する厳しい問い合わせもあり,調査を実施するうえでの社会的責任を痛感しました。調査結果を正確に反映することで,今後の医療に貢献したいと感じております。
 僻地医療と疫学は,あまりにもかけ離れた分野ですが,診療のときに背負う大きな責任感から逃げないスピリッツを忘れず研究を続けてゆきたいと考えています。
 以上,自己紹介と近況を報告させていただきました。疫学会の皆様方には,今後ともご指導のほどよろしくお願い致します。


1)Robert J Blendon, et al. Views of practicing physicians and the public on the medical errors. N Engl J Med 2002; 374: 1933-40