今後の疫学研究の方向性について
愛知医科大学名誉教授
堀部 博
プロフィール
再興感染症については,すでに感染症対策の経験があるので,状況の違いはあっても,対応は新興感染症に比べると容易である。新興・再興感染症の抑止には,疫学者の果たすべき役割は絶大である。
§1 相対危険度とその先の研究
これまで疾病の予防を目的として,特定の要因,例えば血圧水準がどの程度,ある疾患,例えば脳出血の発生に寄与しているかを研究してきた。正常範囲の血圧の人々における脳出血の発生状況に比べて,血圧の高い人々における脳出血の発生状況はどうかを,発生率の比・ハザード比などで見てきた。そしてそれを知った人々は,逆に血圧を正常範囲に下げれば,元々血圧が正常であった人々の発生率になることを暗黙のうちに期待した。
しかし本当はそれは期待できない。介入の効果は改めて実証する必要がある。そのためには血圧が高かった人々を,そのままの人々と,血圧を下げる人々に分けて長年観察し実証する必要がある。研究費があっても,その実行は容易ではない。なぜなら対照群として高い血圧を意図的に下げないでおくことは人の道に外れるからである。
筆者がちょうど米国にいた時,Multiple Risk Factors Intervention Trial という研究が行われていた。積極的に介入する群と通常の治療群を比較することによって,倫理問題を解決することとした画期的な巧妙な研究であった。研究効率をあげるため,高危険群を取り上げそれを2群に分け,対照群は,普通の医療機関が対応することで倫理上の問題を解決し,3大危険因子,高血圧・高コレステロール値・喫煙を同時に取り上げ研究効率を上げることを狙った。
その結果は驚くべきもので,心筋梗塞などの発症率に有意な差が見られなかったのである。倫理上の配慮からの制約があったことは確かであるが,それにしても積極的治療の効果が予想をはるかに下回った。その説明はいろいろ考えられるが,臨床応用を考えると失望が大きかった。
しかし最近10年間に年齢調整死亡率をみると,米国では虚血性心疾患が,我が国では脳血管疾患が年4〜5%の割合で減少してきていること,10年でほぼ半減しており,国を挙げての努力が実っていることは事実である。この一見した矛盾は,その真実の疫学的解明によってはじめて理解でき,将来の取り組みに役立つことは間違いない。
§2 不健康高齢者の半減
家庭や施設で,痴呆・寝たきり・生き甲斐のない不幸な生活を送っている高齢者を半減させることは今後の大切な国家的な課題である。毎日高齢者に接していると,身体的にも精神的にも社会的にも改善の余地が大変大きいことを実感させられる。痴呆で寝たきりの状態にあり,全介助を受けている方でも,なんとか避けられたのではないかと思われることが少なくない。高齢者の方でも,仕事を続けている方の健康度は高い。健康度の高い方だけが仕事を続けているからだとの逆の説明もできる。したがってこの点についても研究する要がある。
身体的な障害としては,高齢者では,脳血管疾患・大腿骨骨折の後遺症が多い。それを契機として全身の筋肉が廃用萎縮に陥り,その後は悪循環で,寝たきりになってゆく。脳血管疾患の場合は,発症早期のリハビリテーションが大切であり,大腿骨骨折は適切な外科的な対応によって,歩けるようにすることができる。大切なことは社会復帰への意欲である。
精神的な側面についてみると,鬱状態についは自分自身よりも,家族・社会生活面から誘発されてきており,予想以上に予防の可能性があると考えられる。人間関係,金銭関係が主な原因で鬱状態になっているので,定年退職や家での仕事がなくなってきた時点が問題である。そのような社会的状況下では,だれも鬱状態になるものと自他ともに考えて心の準備をし,援助する要がある。
器質的な障害が原因になって症候性の精神病を来している場合には,適切な治療で対処できる。高齢者に多い大脳萎縮・変性が原因になっている場合も同様である。若年性痴呆には,薬物による進行抑制や,必要最低限の介助により対処できる。痴呆の程度はいろいろであろうが,それなりの生き甲斐を見つけることが大切である。痴呆即廃人と考えて日常生活介助だけに止め,死を待つのは間違いである。痴呆の人々の生き甲斐についても実証的な研究が必要である。
§3 発展途上国での健康問題への取り組み
欧米先進国はもちろん,我が国においても,保健・医療の分野で無知からとはいえいろいろな誤りを犯してきた。たとえば先進欧米諸国では,第2次世界大戦に勝って,経済発展が著しく,飽食が一般的となり,自動車・自動化の普及から身体活動の不足を来し,いわゆる生活習慣病の激増を招いた。敗戦の我が国においては,脳血管疾患分けても脳出血の激増を来した。しかしこれは戦争中に一時的に激減を来していたものが元に戻ったものである。
米国ではかなり早期に虚血性疾患の激増に疑問を感じていた。飽食・身体活動不足は富裕層から始まったので,医療機関も潤っていた。しかしこの事態に対処するため,治療研究とともに,原因追及のため疫学的研究が開始された。Framingham Study が有名であるが,それは国の肝いりで実施され着実に成果を上げてきているからである。
開発途上国の一般民衆は,貧しいが故にまだ先進国の生活習慣病を患わずに済んでいる。しかし放置すれば,同じ誤りが繰り返されるのは間違いない。生活上の誤りをコピーすることを避け,その予防対策は先進国より費用効果の高い方法で行うことができると考えられる。病気が増え,十分に豊かになってからその対策を実施するのではなく,その前にやらなければならないから,費用効果の高い手段をとる必要がある。
開発途上国は単に経済力が弱いだけでなく,国民の教育水準がまだ低く,先進国における情報伝達方法は使えない。字が読めないだけでなく,理解能力も低いので,それに対応した情報伝達を考えなければならない。疫学者は海外に雄飛して,開発途上国のためにも貢献する要がある。
§4 新興・再興感染症への対応
細菌性感染症の大部分が消滅して人類の勝利かと思われたが,よく考えてみると,ウィルス感染症対策はこれからといってよい。ウィルスに有効な抗生物質はつい最近までほとんどなかったが,ようやく実用になるものが利用可能になってきた。エイズのような難物にも結核のように併用療法で対処できるようになった。
問題の一つはウィルスには変異が多く,ワクチンが開発されても効果に限界があることである。また古くはアポロ11病や最近ではSARSのように感染力が非常に強いものが新しく発生し,ワクチンの開発や治療法が分かる前に地球規模で蔓延した。SARSの場合には病院内で感染が広がり,医師・看護師が感染の脅威にさらされ,その猛威に病院から逃げ出す事態さえ発生した。
このような新興感染症の蔓延に対しては,ジェット旅客機が毎日飛んでいる現状では,国際的な情報網の即応性と,先手をとった徹底した感染予防対策が欠かせない。感染発症者の早期の隔離,医療従事者・家族・見舞いなどの接触者の隔離,空港における感染疑いの者の確認,危険航路の運行停止もできるだけ早く行った方が良い。これは自明のことであるが,社会的な影響の大きさと,プライバシーの尊重の観点から,感染防止策の実施には慎重かつ早急な決断が求められる。
再興感染症については,すでに感染症対策の経験があるので,状況の違いはあっても,対応は新興感染症に比べると容易である。新興・再興感染症の抑止には,疫学者の果たすべき役割は絶大である。
§5 予防・医療の経済学
疫学の分野に限らず,医学者・医師が保健・医療を金銭をからめて評価することを潔しとしない風潮がある。ところが医療保険制度や介護保険制度が社会に定着するとともに,金銭の側面がついて回るようになった。総医療費が30兆を超えても我関せずでは済まない。
専門職業集団として,医学者・医師がその方向性を示さないと,単なる算盤勘定と医療費抑制政策で医療制度が改められることになる。これは施政者としては当然であるが,より良い医療のためには,医学者・医者が方向を示す必要がある。これまで医学者は保険・医療の費用効果に興味を示さないで,医師会は開業医の収入を減らさないように,ロビー活動を行っている印象を与えている。
医学者は今後一層費用効果に注目して,医療政策立案者に根拠を提供する必要がある。そうでないと抵抗の少ない小手先の制度の変更により,たとえば医療費の削減,あるいは自己負担の増加によって,診療の抑制を図ることになる。最近は介護保険制度も軌道に乗っており,それを同時に考慮する必要があり,そのような総合的な視点をもって研究を進め,保健・医療に従事する要がある。
費用効果の研究については,米国には専門の研究雑誌があり,外科手術をはじめ,いろいろな医療技術・治療方法を費用効果の面から比較検討している。我が国においては,厚生労働省が認めれば,薬価がいくらであろうと使用する。最近ジェネリック薬品を使用することが勧められている。しかしどれを使っても保険請求すれば認められるので,薬価を省みることなく,従来の高価な薬品が使用されているのが現状である。
外科手術の術式の優劣については,短期間には評価できないものもあるが,患者の立場に立ちながら,費用効果の高い術式を追い求める努力が必要である。心ある外科学教室では,従来から長期予後の観点から,自ら行った外科術式の評価を行ってきたが,費用効果の観点からの予後調査はほとんど見かけない。健康日本21の実施にあたっても,費用効果を視野に入れることが必要であり,ここでも疫学者の役割は重要である。