UK BioBank訪問記
名古屋大学大学院医学系研究科予防医学/医学推計・判断学
玉腰 暁子
疫学研究では多くの場合,様々な疾病の発生/予防要因を生活習慣,環境,そして体質から考えてきました。体質については,以前は家庭内の同病者の有無などで検討していたものが,遺伝子解析技術が進み,疫学研究においてもその影響の大きさを推定できるようになってきました。当然,多くの研究で,遺伝子も考慮に入れた検討が重要視され,最近は遺伝子多型と生活習慣の両影響を同時に検討することが増えてきています。生まれついて持っている遺伝子型が生活習慣,環境要因をどの程度修飾し,結果としてどのような疾病が発生するのかを検討しようというものです。
現在,世界のいくつかの場所で,上述したようなアイディアの下,遺伝子解析を含めた大規模なコホート研究が計画/実施され始めました。今回,2002年12月に田島和雄先生,中地敬先生,増井徹先生(国立医薬品食品衛生研究所変異遺伝部細胞バンク)とともにその一つであるイギリスで計画中のUK BioBankの関係者にお会いし,話を聞く機会を得ましたので,簡単ですがご報告します。
45−69歳の一般市民50万人を5年かけてリクルートし追跡調査
イギリスでの計画は45−69歳の一般市民50万人(当該年齢の4%に相当)を5年かけてリクルートし追跡調査を行うものです。HubならびにSpokesと呼ばれるセンターを国内に数箇所設け,対象者の選定,データ収集などはSpokesが,データマネージメントや試料保管はHubが行うシステムです。規模の大きな研究だけに一箇所に集中するのではなく,いくつかのセンターでイギリス全体をカバーし,研究成果も全データをあわせるだけでなく,センター別解析も進めていくとのことでした。また,解析のアイディアが認められれば,部外者でも解析に関わることができるようです。データ収集はそのために訓練された調査員(看護職)が専門職として担当しますが,対象者となる方々のリストは,GPs(General Practitioners)の登録から得られます。イギリスの医療制度では国民はそれぞれのGPに登録しているので,GPをランダムに選び,調査への協力を依頼,同意が得られれば対象候補者リストを入手,それを基に個々人に研究参加を呼びかける方法です。追跡は主にNHSの病歴管理システムを用いて行われる予定で,そのための法整備も進められています。
計画は,Wellcome財団とMRC(医学研究諮問委員会)により,1999年6月から立てられ始めました。そこにNHS(国民健康サービス)が加わり,2002年の4月29日にこのプロジェクトを正式に実施することが公表されました。実際にはさらに2年間の準備の後,2004年度に本格実施とされています。
様々な人が意見を述べる機会を意識的に設定
今回,この計画に関わる様々な立場の方にお会いすることができました。スポンサーとなるWellcome財団,MRCそしてNHSの方たちは,研究の推進だけでなく社会との対話を重視し,じっくり時間をかけていました。研究デザインの中心は疫学者ですが,既に走っているEPIC(European Prospective Investigation of Cancer)がよいモデルとなっているようです。そして驚いたのは,血液サンプルを保存するためのインフラがしっかりしていることです。MRCにはgeneserviceというセンターがあります。ここの担当者が,検体をいかに効率よく,使いやすく保管するかを検討しています。小さなチップに入れて保存し,必要なときに目的の検体を機械的に取り出す計画についても話されていました。また,何らかの災害(イギリスでは地震の心配はないそうですが)に備えて,別の機関にも同時に検体を保管する予定とのことでした。
すばらしいと思ったのは,計画を支える体制そのものももちろんですが,このUK Biobankの計画について,様々な人が意見を述べる機会が意識的に設けられていることです。計画を進めるまでにも法的な整備を行っています(個人情報保護法,人権法,情報公開法,内部告発者保護法など)が,法的な側面はもちろん,倫理的,あるいは社会的な側面についても検討が進められています。外部団体もこれらの問題に関し,報告書などを作成公表していました。インフラ整備のために1999年の計画開始から実施までに5年という年月をかけていること,政策決定に関わる立場の人たちが,研究内容を理解し,全体を見渡しながら政策的に必要な研究に投資していることなど,日本との差を感じて帰ってきました。
日本で今後,大規模な疫学研究を進めていく際には,計画段階から疫学者だけでなく基礎系研究者,医療関係者,試料保管専門家,行政担当者,法学者,社会学者,倫理学者などが関わり,また積極的に社会への情報提供,意見収集を行う必要がありますし,小さな機会でも大切にし進めていくことが重要なのではないかと考えています。
なお,UK BioBank に関しては
http://www.biobank.ac.uk/
に詳細が述べられています。