食を通した健康づくり


浜松医科大学衛生学助手 中村 美詠子
プロフィール


 日本の研究環境の中で,能力も体力も限られていて,世界標準とは異なる言葉と文化というハンディキャップもある,そのような状況でいったい何ができるのだろうと悩みました。私が研究を続けていて何か世の中の役に立つことができるのだろうかと。そこで考え出した一つの結論が,日本からでしか発信できない研究テーマに取り組むこと,そして私ができることとしたら,やはりそれは食事に関することだろうということです。随分長い時間がかかりましたが,この時点でやっと「栄養・疫学」をやろうと心が定まったように思います。


栄養疫学に出合うまでの長い道のり

 まだ将来の夢も漠然としていた高校時代,私が食物学科を進路に選んだのは「生活に関連した有機化学」を学びたかったから。当時,生物学や医学への興味は全くありませんでした。母校の食物学科では栄養士の資格はとれないものの,期待していた通り食品化学系の実験に浸ることができました。卒業研究は「生活環境研究センター」という学内機関に所属し,ラットに魚油やビタミンEを練りこんだ餌を与えては,脂質の過酸化や関連の酵素活性等を測定する,という実験に取り組みました。素晴らしい指導者にも恵まれ,充実した期間を過ごしましたが,この動物実験を通して,逆にヒトに対する興味が湧いてきたように思います。「食事がヒトの健康にどのように関わっているのかをヒトで知りたい。」この時感じた思いが,結局今の進路につながることになります。しかしこの当時私は「疫学」という学問を知りませんでした。
 卒業研究を続けながら医学部を受験しようと考えたのは他の理由にもよるのですが,食物学科の卒業,就職を前に,1度だけ挑戦してみようと思って受験した医学部に運良く合格したことが,最初の大きな転機となりました。医学の勉強をはじめてみると臨床系の講義・実習は面白く,食物学科卒業研究で感じた「食への思い」はどこへやら。6年生の時には臨床系志望になりました。次の転機が訪れたのは6年の秋。当時国立栄養研究所から赴任されたばかりの青木伸雄教授が大学院生を募集しており,「栄養の仕事ができますよ」という一言で(でも,ないですが)衛生学教室への入局を決意し,「栄養疫学」に出合うことになりました。

栄養疫学に出合ってからの長い道のり

 「食事がヒトの健康にどのように影響しているのか」をヒトで調べることができる学問。栄養疫学はまさに私が求めていたもの,のはずでした。しかし,「食品摂取頻度調査法」の妥当性研究のハシリ(つまり,比較的早期に行ったものの,研究デザイン等いろいろ難ありの研究,といえるでしょう)の研究等を通して,食事調査のゴールド・スタンダードとされることの多い「食事記録法」の方法論の混沌たる世界を目の当たりにして,愕然としてしまいました。これをきっかけに,しばらくは「栄養の仕事」自体に,「深く関わりたくない」という状態に陥ることになります。
 もう一度正面から「栄養疫学」に取り組もうという気持ちが芽生えたのは,国立健康栄養研究所YN先生から「言いたいことを何でもまとめて」と研究に誘われ,「国民栄養調査方式による食事調査の課題」というレポートをまとめてからのことです。このレポートをきっかけに,問題点を同じように「問題」と認識している仲間がいて,力を合わせて取り組んでいけば解決につながっていく可能性があることがわかってきました。これが,今,疫学,調理学等の先生方と現在進行形で取り組んでいる"地道な"研究課題(食事記録法の標準化)にもつながります。
 さらに,平成11年にニュージーランド,オークランド大学のClinical Trials Research Unit(CTRU)へ留学したことをきっかけに,興味は観察研究から介入研究へと広がりました。CTRUのProf. MacMahonとDr. Rodgersを中心として始まったEastern Stroke and Coronary Heart Disease Collaborative Projectと,これを引き継ぐ形で拡大したAsia Pacific Cohort Studies Collaborationに私達のAkabane Studyが参加した関連で留学させていただいたのですが,この際,当時CTRUが中心となって進めていたPROGRESSという日本を含めた多くの国が参加した大規模介入試験のclosing procedureの日本語訳を担当させていただいたことから,PROGRESSの全プロトコールに接する機会を与えられ,介入研究(臨床試験)について勉強することができました。
 また,この留学は自分がこれから何をすべきかを考える良い機会にもなりました。日本の研究環境の中で,能力も体力も限られていて,世界標準とは異なる言葉と文化というハンディキャップもある,そのような状況でいったい何ができるのだろうと悩みました。私が研究を続けていて何か世の中の役に立つことができるのだろうかと。そこで考え出した一つの結論が,日本からでしか発信できない研究テーマに取り組むこと,そして私ができることとしたら,やはりそれは食事に関することだろうということです。随分長い時間がかかりましたが,この時点でやっと「栄養・疫学」をやろうと心が定まったように思います。
 蛇足ですが,ニュージーランドから帰国後の最初の健康診断で私の総コレステロール値は通常より20〜30mg/dlも高くなっていました。自分で食材を購入し,自分で調理していたのにこんなに簡単にあがるとは!(次の採血の機会にはほぼ平常に戻りました)あがった原因を疫学ではなくケース・スタディとして分析すると,@食品の入手しやすさ(中華食品店でないと購入できない豆腐,港近くの魚屋に朝早めにいかないと購入できないマグロ(でも美味),日本食品店で日本販売価格の数倍で売っている日本食品等は食べたくても簡単には食べられない。自宅近くの大型スーパーのアジア食材コーナーで,リーズナブルな価格の「乾燥カットわかめ」を見つけた時は感激しました。これならいつでも食べられます),A食品のおいしさ(バター,チーズ,ワイン等⇒安くておいしい⇒食べる機会↑。スーパーで売っている白身魚⇒fish & chipsやソテーならOK。でも刺身にはならない⇒食べる機会↓),B調理器具や食材の変化に伴う調理法の変化,といったところが影響したのだと思います。身をもって食事の影響力を知りました。

これからは?

 帰国してから,新しい方との出会いも増えて世界が広がっていくように感じます。自分の気持ちの持ち方が変わったからでしょうか?
 なかなか形にはなりませんが,色々な分野の方との共同研究が始まりつつあります。考えてみると,不思議と相方は疫学会に所属されていない方ばかり。疫学面は私がしっかりしないと気を引き締める一方,疫学会について興味をもっていただけるような形で仕事を進めていきたいと思っています。今の心境に至る道のりは長かったし,随分と回り道をしてきたようにも思いますが,きっと必要なプロセスだったのでしょう。これからは,まず,自分のできる仕事を一つ一つ着実に進めていくこと,そして,最終的な目標は「食を通した健康づくり」に貢献できる仕事を進めること。そんな気持ちで日々の仕事に取り組んでいます。