僕の疫学20年,道半ばで思うこと


近畿大学医学部公衆衛生学 伊木 雅之
プロフィール


 マイナー疾患の疫学の疫学会離れを防ぐ方策の1つを思いつく。それは既存の疫学研究への多くの研究テーマの相乗りを促進することだ。関連疾患や関連要因の研究を付け加えるのではない。まったく独立した研究を同じ対象に行うのだ。疫学研究は対象者の抽出やコホートの維持など対象者集めに労力がかかる。それを相当にセーブできる。


 去る1月25,26日に福岡で第13回日本疫学会学術総会が開かれた折,日本疫学会ニュースレターの中堅欄の原稿を書くように,児玉和紀先生と藤原佐枝子先生に頼まれた。卒後23年,近畿大学の教授になってからでも6年が終わろうとしている。確かに中堅だが,それに見合う仕事をしてきたのだろうかとの不安もある。定年まで疫学を続けるとすると,折り返し点を少しすぎたところだ。ま,ここらで今までの仕事を振り返り,これからの身の振り方を考えるのも悪くはないと,お引き受けした。
 ところが,なかなか書く時間がとれず,ここスイスのダボスで書き始めている。ダボスにはThe Second International Workshop on Genetics of Bone Metabolism and Diseaseでやってきた。標高1600m,パウダースノーで有名なスイスでも有数のスキーリゾートである。スキーの板やスノーボードを抱えていない人間は珍しい。学会は昼に4時間の休憩をとる。長い昼休みは言わずと知れたスキー休みだ。実際,スキー板持参,スキーウェア姿での学会参加者が目立つ。会議場のCongress centerの玄関にはスキー立てが据え付けてあるのがここらしい。幸い(残念ながら?),僕はスキーをしないので(福井に10年もいたのに!),原稿書きの時間がとれたわけだ。

予防医学に足踏み入れたのは車谷先生のせい!

 僕が奈良県立医科大学を卒業してこの世界に入ったのは,大学の4年先輩で,今は母校の衛生学教授である車谷典男先生のせい,いや,お陰である。学生時代,彼に誘われて各地で裁判になっていたスモン問題にかかわった。認定患者だけで8000人強,潜在患者を含めると2万人とも言われた未曽有の薬害,スモン。16歳で発病し,杖歩行がやっとのIさん。「もう一度自転車に乗りたい」と言った彼女の涙は忘れられない。この薬害を作り出したのは,副作用を知らなかった医師の勉強不足だけではない。構造的な原因をこそ何とかしたかった。と同時に,薬害を生む素地のある体制の中に臨床医として入っていくことに怖さを感じた。それが,予防医学に入った動機だった。
 公衆衛生学教室に入ってからは,車谷さんと共に林業労働者の振動障害と騒音性難聴に取り組んだ。振動や騒音暴露を減らすための作業仕組みの提案,検診での診断基準の検討,冬場に奈良県吉野郡の全町村を渡り歩く巡回検診活動や村の国保診療所での振動障害の診療など,問題解決型の研究活動を指向した。これらの活動はやりがいもあり,楽しかった。が,振動障害の問題を小さくしたのは,林業不況と高齢化による林業労働者の減少とチェーンソーの改良だった。長時間暴露を生んだ出来高払いの賃金体制や零細事業所や1人親方で重症化するまで対策がとれない事態はそのままで,悔しい思いをした。その気持ちを慰めてくれたのは,振動が誘発するRaynaud現象が騒音性難聴のリスク要因となることを指摘した疫学研究が国際誌に受理されたことだったが,それは現実の問題とはかなり離れたものだった。問題解決は相当に政治,経済的な状況に左右される。それに関与することは難しい。だから,「問題解決に必要なデータを原著論文としてコツコツと書きためることで状況に寄与しよう。」車谷さんが言った。現在ではエビデンスの評価法が確立し,文献データベースが発達したので,いい原著を書きためておけば,それがエビデンスとして利用される。今でも僕の研究活動の基本姿勢である。

「したいようにしてみ!」が大きな財産に

 1987年に福井医科大学に移ってからは,主に骨折,骨粗鬆症予防に取り組んできた。骨粗鬆症の小さなコホート研究を始めたのが1990年。日本疫学会設立の頃である。当時まだ助手だった僕の意見を,JA福井厚生連を初め多くの人が取り入れてくれてできた手作りのコホートだった。課題設定と調査の設計,調査マニュアルの作成とスタッフ教育,受診者への説明と文書による承諾書の取得,仕事の分担と責任の明確化,個人へのわかりやすい報告と地域への提言,不十分なこともあったが,たいへんな勉強になった。できるだけ若い内に小さくていいからプロジェクトリーダーとしてきちんとした調査をするべきである。大きな財産になること請け合いだ。上の者からすると危なっかしくてつい口を出したくなるが,そこは我慢のしどころだ。当時の上司だった緒方昭教授(現福井医大名誉教授)は「したいようにしてみ」。懐の深い方だった。僕もそうありたいと思っているが,...。
 福井での調査によって,Japanese Population-based Osteoporosis (JPOS) Studyの調査事務局を担当することになった。この研究は,全国7地域から住民を無作為抽出して4550人の女性を対象に行ったもので,各部位の骨密度の年齢別標準値や骨粗鬆症診断のためのカットオフ値の提案,骨粗鬆症有病率の推定,リスク要因としての低カルシウム摂取,低牛乳摂取,運動不足,納豆の低摂取などの指摘とライフステージ別の対策の提案,また,ビタミンD受容体遺伝子多型の骨密度への影響評価とライフスタイルとの相互作用の検討などを行った。このプロジェクトは僕が1997年に近畿大学に移籍後も継続していて,3地域は6年間追跡している。

疫学会に少ないマイナー疾患の専門家

 JPOS Studyは,骨粗鬆症予防や骨代謝の分野ではそれなりの成果を挙げたと考えている。しかし,日本疫学会でその名をご存知なのは和歌山県立医科大学の橋本勉前教授と吉村典子講師,放射線影響研究所の藤原佐枝子先生くらいだろう。要は骨折・骨粗鬆症予防を研究している人しか知らないのだ。それは仕方がない。骨なんてみんなが取り組むほどの課題じゃあない。しかし,しかし,だ。正直に言うが,僕は日本疫学会に骨粗鬆症予防の演題を出すことに意欲を失っている。理由は簡単。有益な議論にならないからだ。日本骨粗鬆症学会や日本骨代謝学会の方がいろんな議論があってよっぽどおもしろい。これは骨に限ったことではあるまい。循環器疾患や癌のようなメジャーな分野はともかく,マイナー疾患の専門家は疫学会には少ない。そういう人はすでに専門学会に走っているのではないか。この傾向は疫学会の多様性を削ぎ,活力を失わせる要因になると危惧している。
 JPOS Studyが知られていないもう1つの理由は,骨に特化した研究であることだ。大きな質の良いコホートはFramingham Studyがそうであるように,さまざまな研究テーマで取り組むことができる。JPOS Studyにもそのような可能性がある。にもかかわらず,そうなっていないのは,当初に多分野にまたがる研究班を組織しなかったこと,さらには研究のほぼすべてを本教室1つでやっていることだ。コホートを維持することはそうたやすいことではないが,我々だけではそれが限界で,他分野まで視野に入れる余裕がなかったというのが正直なところである。

打開策は既存疫学研究への多くの研究テーマの相乗り促進

 JPOS Studyの上記の問題を考えると,マイナー疾患の疫学の疫学会離れを防ぐ方策の1つを思いつく。それは既存の疫学研究への多くの研究テーマの相乗りを促進することだ。関連疾患や関連要因の研究を付け加えるのではない。まったく独立した研究を同じ対象に行うのだ。疫学研究は対象者の抽出やコホートの維持など対象者集めに労力がかかる。それを相当にセーブできる。学会での議論だって,骨代謝マーカーのNTxとCTxの挙動の違いを云々するのは骨代謝学会ですればよい。疫学会では他の疾患をテーマとしてどのようにJPOS Studyを生かせるかとか,逆に他の優良な疫学研究に骨関連のテーマと技術をどのように移転するかを議論するのがいいだろう。と,なると,僕は日本疫学会に骨粗鬆症の演題を出すことに意欲を失ってはいけないわけだ,と気が付いた。これからもしっかりと演題を出し,最近討論でも大人しくしていたが,それもやめて,たくさんの議論を建設的にふっかけることにしよう。みなさん,あらためてよろしくお願いします。