野辺地慶三先生,
盛岡市先人記念館入り
日本疫学会名誉会員
重松 逸造
岩手県盛岡市が市制100周年を記念して設立した先人記念館は,新渡戸(にとべ)稲造,米内(よない)光政,金田一(きんだいち)京助をはじめ計125人に及ぶ盛岡ゆかりの各界先人を顕彰する目的で1987年に開館されたが,2002年度より新たに5人を追加する旨,去る3月4日に同市教育長より発表された。
その内の1人が野辺地(のべち)慶三先生(1890‐1978)で,記念館の医界出身者は従来の2人(三田俊次郎,久慈直太郎)に,今回追加の2人(野辺地慶三,三田定則)を加えて計4人となる。他分野に比べて医界出身者が少ないということで,野辺地先生の記念館入りに努力されたのが,首藤(すどう)友彦博士(元・宮城県登米保健所長,野辺地先生の名大医学部公衆衛生学教室時代の教室員)と國本(くにもと)恵吉博士(岩手県滝沢中央病院長,医史学に詳しく,野辺地先生の業績紹介にも尽力)のお二人である。
野辺地先生が日本の疫学のパイオニアであることは周知の通りで,疫学研究室の開設(1930年東大伝染病研究所),初代の疫学部長(1938年公衆衛生院),疫学総論の執筆(1951年日本臨床社)などはいずれも日本最初ということになる。また,先生は保健所の創設をはじめ,公衆衛生全般にわたって多くの業績を残されたが,その功績から1973年にはWHOよりレオン・ベルナール賞をこれも日本人として最初に受賞されている。盛岡を訪ねる機会のある方は,この記念館を見学されてはいかがであろうか。所在地は,盛岡市本宮(もとみや)字蛇屋敷2−2,TEL:019-659-3338。(名大教授時代の野辺地先生の写真と記念館の資料は首藤博士の提供による。)
名大教授時代の野辺地先生