血液からみた栄養診断


愛知県がんセンター総長 富永 祐民


 平成13年の秋に東北大学の坪野吉孝先生から南江堂から出版された「栄養疫学」をお贈りいただいた。栄養は本来,循環器疾患,糖尿病,がんなどの疾患のリスクを規定する因子であると思っていたので,「栄養疫学」という言葉に一瞬とまどった。しかし,坪野先生によると,Willetらはすでに1990年に"Nutritional Epidemiology"の初版を発刊しているとのことであり,「栄養疫学」は国際的に市民権を得ているようである。

続出する新カテゴリーの疫学も何らかの疾患を対象にしている

 古典的な疫学は疾患単位で成り立っていた。感染症の疫学,循環器疾患の疫学,がんの疫学,難病の疫学などが中心であり,理論疫学という方法論に着目した疫学もあった程度である。しかし,最近は「栄養疫学」をはじめ,「分子疫学」,「民族疫学」,「臨床疫学」など,疾患以外の研究方法,研究対象,研究の場を切り口とした新しいカテゴリーの疫学が続出している。しかし,冷静に考えると,栄養疫学にしろ,分子疫学にしろ,民族疫学にしろ,栄養学,分子生物学,民族学の切り口で,何らかの疾患を対象にしていると考えられる。栄養疫学領域では多くの研究者がFood Frequency Questionnaire (FFQ),半定量法,秤量法,陰膳法などによる食品,栄養摂取量の比較,再現性,妥当性などを検討している。坪野先生はその一人である。栄養摂取の測定法を固めた上で,栄養摂取と各種の疾患の関係を調べるのが栄養疫学の最終目標であろう。
 筆者も30数年前(1963−1967年頃),栄養を切り口として循環器疾患の疫学的研究に取り組んでいた。ちなみに,学位論文のテーマは「日本人の脳卒中の成因における脂質代謝異常の役割」であった。研究内容は地域住民や脳卒中患者,心筋梗塞患者などの血清総コレステロール値,血清トリグリセライド値などを調べたもので,日本人の脳卒中の成因には脂質代謝異常は関与していないというのが結論であった。

難治性肝疾患の治療から予防へ方向転換

 筆者は阪大医学部を卒業後,大学院に籍を置きながら,実際には大阪府立成人病センターの小町喜男先生の下で研究に従事した。医学部の学生時代には肝硬変や肝臓がんなどの難治性肝疾患に関心を持っていた。当時はまだB型肝炎ウイルスはおろか,オーストラリア抗原すらもわかっていない時代であり,もっぱら低栄養が肝硬変や肝臓がんの危険因子として重視されていた。当時は難治性肝疾患の早期診断法もなく,治癒率も惨憺たるものであった。そこで,難治性肝疾患の治療は断念し,予防に取り組むことにした。そのような背景(意図)から公衆衛生学(予防医学)を専攻し,小町グループに属してからも積極的に栄養を担当させてもらうことにした。

血液の化学成分から栄養摂取量を推定する方法思いつく

 早速,栄養摂取法について勉強したが,何千人という多数の地域住民や職域の対象者について簡単に,正確に栄養摂取量を測定できる方法はなく,せいぜいアンケート調査による主要食品の摂取頻度の測定(FFQ)しか考えられなかった。しかし,FFQで得られた結果の信頼性,再現性も問題であったし,もっと簡単に,客観的に栄養摂取量(栄養状態)を測定できる方法はないものかと考えた。
 そこで思いついたのが血液の化学成分を調べて栄養摂取量を推定する方法である。循環器疾患の疫学研究との接点として,脂肪摂取は血清コレステロール値で,含水炭素の摂取量は血清トリグリセライド値で,蛋白質摂取量は,循環器疾患には関係がないかも知れないが,血清総蛋白量を指標とすることにした。血清トリグリセライド値は動脈硬化関連因子として測定したが,当時cabohydrate- induced hyperlipidemiaの概念も報告されており,含水炭素摂取量の指標としても使えるのではないかと考えた。現在ならこのような荒っぽい仮定と方法は通用しないかも知れないが,当時は全く手探りの状態であった。

「吸血鬼」と「ベトコンの隊長」

 血液パラメーターは年に一度の測定ではかなりのばらつきがある可能性があり,自分の血清総コレステロール値,血清トリグリセライド値を1年間にわたり,毎週2回のペースで,延べ90数回測定し,あわせて体重の変化との関係も調べた。この1年間の食事摂取については365日のすべての摂取食品とおおよその摂取量を大学ノート数冊に日記風に記録した。朝食のトーストとコーヒーや昼食のカレーなどは簡単であったが,中華料理や立食パーティーでの食事摂取の記録には閉口した。
 このような基礎的な研究もやりながら,とにもかくにも大阪府の八尾市,能勢町,秋田県の井川村,由利町,大阪市内の事業所職員について,延べ数千名の血清総コレステロール値,血清トリグリセライド値,血清総蛋白値を測定した。あまり多数の人々から血液を採取したので,"吸血鬼"という不名誉なニックネームを頂戴した(もう一つのニックネームは"ベトコンの隊長"であった。これは血液化学の実験室が地下にあり,日頃は地下に潜って仕事をしながら,時々上階の小町研究室に現れ,小町先生にたてをついたりしたからであろう)。

地域診断に十分使える血液に基づく栄養調査

 血液化学の測定結果からみると,血液に基づく栄養調査は地域診断には十分使えることがわかった。例えば,血清総コレステロール値の平均値でみると,40−69歳の男性では,大阪市内事業所職員:184.4mg/dl(以下単位略),住宅地の八尾地区:185.8,農山村の能勢地区:158.9,秋田地区:175.3と集団によりかなり大きな差が観察された。女性の血清コレステロール値,男女の血清トリグリセライド値についても同様な傾向がみられた。
 個人の栄養摂取量の推定もある程度可能であった。例えば,秋田地区の対象者の中に異常に高い血清コレステロール値(220mg/dl程度)の人がいた。調べてみると,調査対象地区の村長さんで,鶏肉を一羽分でも食べてしまうという大食漢であった。中には逆に,血清コレステロール値が100mg/dl以下,血清トリグリセライド値は50mg/dl前後,血清総蛋白も6g/dl前後と異常に低い低栄養とみられる人もいた。

飛躍的に進歩している血液からみた栄養学

 最近では血清中のcarotenoids,polyphenols,phyto-estrogens,脂肪酸の測定など,血液からみた栄養学も飛躍的に進歩している。carotenoids,vitamin C,脂肪酸などは介入試験の中間指標としても使われている。血液パラメーターは客観的な数値で表されるのが強みである。しかし,血液パラメーターは環境因子のみでなく,遺伝的な宿主因子の影響も受けるという弱みがある。これらの問題点を解決しつつ,「血液からみた栄養学」は将来もっと進歩するだろう。