WHO Monica Project と Japan Monica


国立保健医療研究院疫学部特別研究員 籏野 脩一
プロフィール


 リスクファクター及びIHD発生,死亡率の大きさではなく,変動に注目したことは,新しい調査対象の設定で野心的であった。しかしこのことは,大雑把に言えば変化の幅が1割であれば,元の10倍のサンプル数が要求されることになる。そして状況が類似していれば,相違の発見はさらに困難になり,高い精度での測定が求められる。医療,保健の到達度,普及度の相違が大きい国を選べば,量の相違は得られるが,測定の質の相違が混入して,相違の理由の説明が難しくなる。WHO Monica研究は出発点からこの宿命を担っていた。


 もう15年も経った昔を,児玉和紀先生からの電話が呼び起こしてくれた。循環器疾患の疫学研究を離れて久しく,貴重な資料も散逸しかけている。多数のわが国の循環器疾患センターから成る共同研究グループを結成して,生活の欧米化にも関わらず一向に増えて来ない虚血性心疾患,急速に減少しつつある脳卒中と,そのおかげで世界一の長寿国を実現したわが国の成功の謎を国際舞台に紹介したいとの思いを共に,国際共同研究WHO Monica Projectに集まったわが国の循環器疾患の疫学研究者の共同研究Japan Monicaとそれが直面した困難や結末などについて,私見偏見を交えて,その存在すらご存じない若い研究者のために,歴史の一齣を語りたい。

参加の目的

 昭和60年頃WHOから参加依頼があった時,@厳密に同じ診断基準により,国際比較が可能な方法でわが国の各地域,性別,年齢階級別の急性心筋梗塞と脳卒中の正確な発生率,致命率,死亡率を把握する,Aその推移を追跡し,当該集団におけるリスクファクターの変動との関連を,国際比較を通じて明らかにする,Bこの国際研究参加を通じて疫学データ比較の方法を学び,わが国の測定値の精度管理,データ分析等の技術,方法を発展させる,ことを目標として,旧日循協における疫学研究活動家に,熱意を寄せられた新たな団体を加え,大学の循環器内科,公衆衛生学教室,地域の中核病院,医師会等を含む北海道から九州までの21地域の混成集団による開発研究が昭和58年に堀部博先生の疫学研究班を引き継ぐ形で重松逸造先生を研究班長として始まった。私は重松逸造先生からバトンを渡されて昭和63年まで3年間,国際研究の仲間としてWHOとの連絡,国内共同研究の維持と発展に関わった。

共同研究の内容

 @対象集団の性・年齢階級別(35〜64歳,心疾患研究が中心のMonica研究の中では随意研究であった脳卒中に関しては74歳まで)の年央人口把握,A地域住民における心疾患及び脳卒中の持続的登録,B調査初期及び後期における住民サンプルによるリスクファクター調査である。

情報収集の方法と困難

 最大の困難はわが国の著しく低いIHD発生率にあった。発生率の変動を有意水準で評価するためには年間少なくとも100例程度の発生を見込む必要があったが,わが国ではそのためには数十万から百万程度の人口集団が必要となる。単一のセンターで引き受けるのが望ましいが,直ちにこれに応えられるような研究センターは得られなかった。
 研究内容@は対象市町村から入手できるが,Aは医療機関選択が自由なわが国では,調査地域内の医療機関だけの調査では脱落を生じ,重症患者の受診病院が限られている農村部を除き,発病者の全数把握は困難であった。また外部医療機関には新患発生の報告を求めるのが精一杯で,その診断根拠まで求めることは難しく,心電図を入手し読み直して再チェックすることなどはさらに難しかった。死亡例では,従来寛大であった保健所における死亡小票の閲覧がほぼ全面禁止となり,報告漏れや疑わしい例のチェックが不可能に近い状況となった。Japan Monicaの研究地域に限って,集合的に厚生省の許可を頂くことができた。データの質を保証するための個々のケースについて診断根拠を確認する地味で苦労が多い作業は,法の規制と患者遺族と医師の協力の限界から,わが国では以前から特別に協力関係が確立していた例外的な地域以外では不可能になりつつあった。現在議会に再提出されることになった個人情報保護法は,報道機関の情報収集に関しては大幅に緩和されたようだが,研究を目的とする情報収集に関する緩和は認められていないのでないだろうか。このままでは日本は正確な疫学情報が無い後進国に低落必至である。学会から,また身の回りの人たちにその危険性を分かり易く訴え続ける必要がある。
 Bの住民のリスクファクター調査も,法的根拠が無いと困難である。医療が普及していない国々(終戦後の日本も同様であった)では,十分な説明と医療提供によって検査に協力を求め易いが,わが国では検診が日常化したため却って住民の関心が低下していること,また検診機関の選択が自由で随意の医療機関で検査が受けられるから,代表性を高めるために被検者を選択することは不可能である。分散した検査機関に対して精度管理を徹底的に行うことは不可能である。測定業者が内部で高度の精度管理を行っていても,問題は採血から血清分離,そして測定までのサンプルの保存等の前処置にある。どこで検診を受けてもいいという恵まれた条件が仇となっている。

目的は達成されたか

 昭和60年から昭和63年末までに北海道から九州に及ぶ21人口集団(25〜74歳人口240万,観察人口386.8万人年)地区で,WHOの診断基準を採用して急性心筋梗塞(AMI)990例,脳卒中3,530例を登録した。上記年齢層での千人対発生率は,AMIは男0.38(地域別範囲0.2〜0.5),女0.12(0.1〜0.3),脳卒中は男1.09(0.5〜2.0),女0.68(0.4 〜1.0)であった。性・年齢区分(5歳間隔)で64歳までの各セルに13〜27万人年の対象が含まれ,精密な性別・年齢階級別発生率が計算できた。心筋梗塞については厚生の指標1990年5月号にその成績の概要を報告した。
 詳細は同誌に譲り,資料の特色を述べると,年次別月別の発生数,治療の場所(病院84%,在宅5%),新発作(600例)と再発作(203例)の別,WHO基準による診断精度別区分[確実(618例),可能性あり(178例),虚血性心停止(14例),心筋梗塞なし(29例),資料不足(142例),致命率(発症後28日で判定で生存663例,死亡318例)]等に関して調査されており,それまでの疫学調査に比して,質のチェックが入り,疫学情報量が豊富な点で,心筋梗塞疫学調査のモデルとなるものであったと自負している。
 さらに13地域から厳しい精度管理を受けた上での国際比較に耐えるリスクファクターの成績が得られた。WHO Monicaの中間発表資料にこれらを投入すると,わが国が循環器疾患対策で成功した理由の一端が明らかになる。すなわち体格指数中央値は22.6で44地域中44位,収縮期血圧中央値は121mmHgで43地域中43位,高血圧頻度は13.4%で40地域中38位,血清総コレステロール値は4.7mmol/dl で31地域中30位であった。喫煙者頻度だけが53.6%で44地域中10位と高位にあった。この中間点での成績だけでもJapan MonicaはWHO Monicaの目的に答える成績を示し得たと思う。
 落ち度の無い研究を目指しても多少の瑕が出来てしまうのが世の常であって,この資料は当時のわが国の状況を把握する参考資料として,完璧では無いにせよ真相から遠からず,予防や病床整備計画の基礎資料として実用に耐える数字を提供できた。班員各位の功を称えたい。地域別の分析も可能で,一定の精度を設定して基準に達したセンターを仕分ける可能性も残されている。
 WHO Monica研究への参加は班員各位にとって国際的基準の要求水準を体験し,これをクリアすることの厳しさを学習するいい機会になったと思う。
 脳卒中及び各個研究報告を含む最終報告書は平成3年4月「日本モニカ研究班」名で日循協から「急性心筋梗塞・脳卒中の発症とその関連要因のモニタリング」と題して出版された。

研究上の困難と挫折の原因

 10年間にわたる継続を要求されるWHO Monica研究は,資金源,研究者の高い意欲,粘り強い努力を要請する。わが国の循環器疾患の疫学を支えてきたものは,疫学研究を本務とする専門家よりも,各地に出張して年1回の定期検診を続け,住民の信頼を得て,住民の保健に尽くしてきた臨床医集団の功が大きかった。しかし80〜90%まで登録できても100%にすることは,法令による強制をもってしても難しい。新規発生捕捉率は地域の特性,研究者の地域との繋がりの深さ等によって影響を受ける。我々は捕捉率を高めるために全力を尽くした。小規模集団が多く,予測値の統計誤差は大きい。発足時から,全体をひっくるめたJapan Monicaの総計で答えようとしたのはそのためである。予想通り全体としてみたJapan Monicaの成績は,性,年齢階級,IHDと脳卒中の比率等において,ほぼ期待される成績を示した。1980年頃の日本人のIHD,脳卒中の頻度を示す貴重な資料となった。
 国内のデータ標準化センターが整備され,必要なデータも順調に流れ込み,これからデータ収集が本番に入ると期待した矢先,厚生省循環器病研究委託費は平成3年で打ち切られ,研究は頓挫した。全面的に循環器病センターの研究委託費依存が続いて来れば研究が継続できると思っていた班長の見通しの甘さがあった。研究に協力して頂いた班員の事業継続へのご支援を,類似のテーマで名乗りを上げた北川定謙研究班班長にお願いして幕を閉じることになった。研究発足時の重松先生のご熱意を思うと,後継班長として研究の意義と成果のPR,研究費集めの努力不足を恥じざるをえない。

WHO Monica 研究の結末

 1960年代から始まった米国におけるIHD死亡率の自然(?)低下,東欧圏におけるIHD,脳卒中死亡率の増加が,事実を反映しているのか,なぜ起こったのか,既知のリスクファクターの推移で説明できるか,有効な対策は何か,といった疑問に答えるためにWHOが始めたMonica研究10年間の成果は,3年前Lancet誌に発表された。世界の21国,38センターの努力の成果として注目に値する。
 1980年代の半ばから1990年代の半ばにかけて集められた10万人を超えるIHD新患を含む世界最大の資料から得られた結論は,残念ながら目を瞠るようなものでは無かった。だが示された事実は参考になる。少なくともWHO Monica Projectに参加し得る程度の経済発展ができた国々では,高血圧,高脂血症,喫煙(女性,若年者を除く)は軒並み減少に向かっていた。肥満は増加傾向にあった。これらの傾向は何れもIHD発生率,死亡率の低下傾向に関連していた。リスクファクター低下度と住民のIHD低下との関係は認められたが,予防医学者が密かに期待したような劇的なものでは無かった。それよりもIHD治療法の進歩(31センターの集計),すなわち二次予防の寄与が格段に大きかったことが新奇な発見として報道され注目された。これに関して私見をのべると,第一にWHO Monica研究の単位は個人ではなく,集団であった。個人間のリスクファクターの相違でなく,集団間の相違が説明できるかどうかがテーマであった。この方法では個体間の相違を説明することはできない。第二にWHOならではの任務としてマクロの政策的課題に答える狙いがあった。諸変数の値を比較する断面調査ではなくて10年間の推移とその相違を説明することを課題とした。この課題に答えるためには,集団間の差が大きいこと,経時変化が大きいことが望ましい。3集団を除き,すべてがヨーロッパの地域であったため,説明しようとした差は僅少で,そのため東欧と西欧の相違が目立ってしまった。それは本質的な相違でなく,IHD予防が進んだ西欧と遅れてスタートした東欧の歴史的相違を明示しただけとなった。西欧ではIHD予防は進んでおり,一応飽和に近づいた時期での変化の影響が探られたが,その一方でIHDの治療は発展期にあってその貢献が最も目立つ時期に遭遇した。従って結果は予想通りであり,新事実を提供するものではない。二次予防が永久に生活習慣の改善に勝る貢献があると主張する根拠にはならない。ただし英国のように医療の近代化が遅れた国には強烈なインパクトがあったと思われる。我々は,一次予防も二次予防も(そして高齢社会では三次予防も)重要であることを学ぶべきである。
 リスクファクター及びIHD発生,死亡率の大きさではなく,変動に注目したことは,新しい調査対象の設定で野心的であった。しかしこのことは,大雑把に言えば変化の幅が1割であれば,元の10倍のサンプル数が要求されることになる。そして状況が類似していれば,相違の発見はさらに困難になり,高い精度での測定が求められる。医療,保健の到達度,普及度の相違が大きい国を選べば,量の相違は得られるが,測定の質の相違が混入して,相違の理由の説明が難しくなる。WHO Monica研究は出発点からこの宿命を担っていた。測定の質を上げるためには,標準的手法が確立していない新しいリスクファクターの研究や,国際的に普及していない機器(例えば脳卒中診断におけるCT利用)の使用は共通調査項目にできなかった。(衛星研究として全体研究と関連させて研究する余地はあったが,これにはしばしば官僚的な制限が加えられた)従って対象として取り上げられたリスクファクターは基本的で重要であるが陳腐な要因のみに限定された。統計的厳密性を知的冒険より優先させざるを得ないWHOによる研究の限界を如実に示すものとなった。
 多大な労力と資源がこの研究に費やされ,我々の調査を含め,多数の有用な関連資料が出版されている。WHOの膨大な資料は一般に公開され,利用されることが望ましいが,貢献した研究者やWHOにとっては知的所有権の問題もあって,原資料の全面公開は困難であろう。公開された資料や文献は貴重かつ有用であるので,関連領域で研究される方はWHOに接触して資料を求められるとよい。同様にJapan Monicaの資料も貴重である。各班員の同意を要するが,歴史的記録としても価値があり,散逸,消滅させる前に,班員以外の方にも公開し,メタアナリシスや再検討をして活用して頂きたいと願っている。